Button Material

Traditional

布・刺繍のボタン

1500年代以降、ヨーロッパ宮廷社会の男性服で展開してきたボタンは、長い間、貴族支配層のステータスシンボルであり、素材としては貴金属や宝石や手の込んだ細工のシェルやガラスやメタルに価値がおかれた。しかし、実際に日常的に多数使用されたのは、男性服にあっても布や刺繍のボタンであった。

1600年代のバロック期は、余りに絢爛豪華、誇張された大げさな衣裳の流行のなかで、ボタンは余りその存在を主張する事はできず、テキスタイルと同じ文様の刺繍をほどこしたりしてポイントとすることが多かった。しかし、1700年代のロココ時代、より繊細となった宮廷男性服のボタンは、刺繍、組紐、ビーズ、スパンコール、ラメ、モールといった洗練と贅の限りをつくした手仕事の粋が施された。フランスは国家の威信をかけて服飾産業を奨励し、ボタン職人のギルドなども組織されていった。

女性服の装飾の中心は長らくリボンやレースであり、やっと1700年代後半になって、より行動的な散歩や旅行用に男性服の影響をうけた上着が登場し、ボタンも広く取り入れられるようになる。市民社会の出現のなかで、男性服はより簡素に禁欲的となり、女性服需要が服飾の中心となる。

産業革命をへて、機械機織り/合成染料の発明/ミシンの普及などに伴い、衣類のパーツ(コルセット/鳩目など)の工場生産品の使用なども拡大していく。くるみボタンなども大量に生産され消費される時代となったのである。

1800年代は、糸かがり/布製の下着用ボタンから手袋用、ブーツの編み上げを固定するボタンまで、すべての服飾パーツにボタンが使用されボタンの量的な黄金期となった。1800年代後半からの、イギリスヴィクトリア朝にあっては、女王の長期にわたる服喪により、服飾一般に黒の流行が見られた。(アクセサリとしては、ジェットやオニキス、黒檀や漆などの流行が見られ、黒の刺繍やガラスのボタンが好まれた)

ベルエポックと呼ばれる世紀末の時代を経て、女性の社会進出も進みパリのデザイナー、ウオルトやポワレの登場により、仕立て屋ではないデザイナー主導によるシーズン毎のモードをマネキンが着用して発表するという現代まで続くパリ中心のモード産業が確立し、1910年代には、シャネルやスキャパレリといったデザイナーによるモードの革新が行われていく。フランス伝統の刺繍などの技術は、現代のオートクチュールなどに継承されてはいるが、ボタンの服飾における役割は変化していったのである。

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